黒革風の手帖


七五三の五歳のお祝いを、男女の双子で一緒にしたい、というご相談を受けた。(五歳は男児が袴を履き始める祝いの儀式なのだ)。もちろんさせていただきます、と即答した。私も男女の双子の親だから、その要望の切実さを知っている。

小学校に上がる寸前くらいまで、双子は一緒に遊び、一緒に風呂に入り、一緒にご飯を食べる。誕生日も一緒だからお祝いも一緒。炊飯器やリモコンのボタンを押す回数も、唐揚げの数も、好きな絵本を一番に読んでもらえる回数も一緒。喜びや楽しみの機会の均等は、双子育児において、ファースト・プライオリティなのである。そこに男も女も関係ない。


些細なことから重大なことまで、全て平等にしなくては、双子育児の日常は回らない。




たとえば外に遊びに出かけ、空き地の片隅に、プラスチック容器が一つ、落ちている。

幼児はそれに土を詰め込んだり、水たまりの泥でお料理ごっこしたり、さんざん遊べるので、とても重宝する。わざわざおもちゃのスコップセットを持参していたとしても、もう知っているそれらよりも、目新しいプラスチックゴミの方が幼児にとっては魅力的で、必ず争奪戦になる。

「か〜し〜て」(貸してください)

「い〜や〜や」(いいえ、嫌ですの関西弁)

このやりとりを合図に、双子の仁義なき戦いが始まる。

だから、双子の親は、空き地や公園に着いたら、まず素早く全体を見渡し、プラスチック容器が落ちていないかを確認する。

雑草の陰にチラッとそれらしきものを見つけたら、双子に気付かれないように、シャッと自分のポケットに押し込み、持ち帰ってリサイクルへ。その行動は静かで迅速。傍目には「環境にやさしい特殊部隊の人」に見えるだろう。けれど、実は双子に喧嘩させないための必死の行為なのだ。

奇跡的に同じプラスチック容器が二つ以上落ちていた場合(滅多にないが)、「あ、いいもの見つけた〜」と、双子に教えてやり、心の中で「神様ありがとう!」と感謝し、きれいに拭いて、双子に、同時に渡す。

毎日毎日、こんなミッションを繰り返し、なんとか日常を回すことができる。

人は「なぜそのような面倒くさいことをするのか」と思うだろう。だが、それを怠ったときに起こる「もっと面倒くさい事態」を、双子の親は知っているのである。

どちらか、もしくは両方がぐずったり癇癪を起こした場合でも、もう一歳や二歳の頃のように、両脇に丸太を抱えるスタイルで双子を持って走ることはできないのだ。

当然、五歳のお祝いも、二人平等になされなくては、回らない。

小学校に上がれば、双子はむしろ同じ扱いを受けるのを嫌がるようになる。だから、五歳のお祝いは、逆にいえば二人でするハレの儀式の、最後のチャンスでもある。




問い合わせのおかげで、そんな時代を思い出し、さらに初心に帰る気分になった私は、我が子達(男女の双子)が七五三をした頃の、自分の手帖を久しぶりに読み返した。仕事の予定や発注リストから日記まで全てを記録している手帖だ。

実は、うちの双子は神道・仏教・キリスト教の3パターンの七五三詣をしている。

正確に言えば、まず全ての年齢で片埜神社で七五三参りをし(当然だ)、さらに、三歳ではキリスト教の七五三礼拝を、五歳では成田山で仏教式の七五三をした。


普通の国なら、ある特定の宗教の神職が、別の宗教の人生儀礼に子供を参加させることなどないだろう。が、ここは日本。そうしたことが許される環境にある。

そして、他の宗教のことを知るのは、神職にとって、とても重要だと私は思っている。自分の国をより深く理解するために、海外へ行くのと同じだ。

三歳のころ、うちの双子は、家の近くのキリスト教系簡易保育園に通っていた。平屋の普通の家を少し広くしたようなところで、三歳未満の乳幼児を預かり、布おむつと手作りのご飯とおやつで育ててくれる、献身的な保育園だった。

その保育園では11月に「七五三礼拝」という行事があり、牧師さんが来てお話をしてくれたらしい。夕刻、迎えに行くと、双子がそれぞれに千歳飴の長い袋を持っていた。中を見ると、飴ではなくフランスパンが一本。

フランスパン。オシャレであると同時に、キリスト教的な深い意味を持っている。

イエス・キリストは、最後の晩餐でパンを手に取り「これが私の体である」と言ってちぎって弟子たちに与え、ぶどう酒(ワイン)を「これが私の血である」と言って分け与えたのだ。

つまり、千歳飴の袋の中に、飴ではなくパンが入っていたということは、「あなたがたはイエスの体を分けてもらったのです」というメッセージなのだと思った。

仕事帰りに子供を迎えにきたお母さんたちは、「こんな硬いパン、子供は食べられへんやん」と言っていたが、うちの双子は腹が減っていたのか、帰り道に一本まるまる食べてしまった。

家に着いたが、どうやら私が途中で家の鍵を落としてしまったらしい。

玄関の前で、パンの入っていた千歳飴の長い袋で遊び出す双子。その袋には、たくさんの動物が、わちゃわちゃと楽しそうに船に乗っている和風の絵が印刷されている。

双子は動物たちを指さして、順番に

「ぞう、きりん、うし、おうまさん‥」と言い出す。

鍵を探しながら、ふつうこういうのは鶴と亀だけどな。と思っていると、双子の会話が

「うさぎ、かば、わに、おじいさん」と続く。

ん? おじいさん?

家の鍵を探す手を止め、袋の絵をよく見てみると、たくさんの動物の中に、たしかに人間のお爺さんが一名。和風の筆運びの絵で気づかなかったが、思いっきり西洋人のお爺さんだ。

なぜ、七五三の袋に、子供ではなくお爺さんが? 花咲かじいさんかな?

いやいや、これは、ノアだ。

ていうか、これ、ノアの方舟だ。

だから鶴亀じゃなくていろんな動物がわんさか乗っているんだ。

と、私はその時やっと気がついた。

と同時に、自分の手指に家の鍵がついたキーホルダーを引っ掛けたまま、家の鍵を探していたことにも、その時気づいた。

このころ、よくこういうことがあった。

保育園に双子を迎えに行き、右手で娘と手をつなぎ、そのへんで遊んでいるであろう息子を探して名前を大きな声で呼んでいると、ママ友が「抱っこしてるやん!」と言う。私は息子を左腕に抱いたまま、息子を探して大声で呼んでいたのである。それを見て「お疲れなんですね」と労ってくれた保育園の先生の優しさが胸にしみた。



三歳の七五三は、もともとは「髪置の儀」と言って、髪を伸ばし始める公家の儀式。宮中では、数え三歳になるまでは髪を剃っていて、三歳になると伸ばし始める習慣があったのだという。

つまり七五三は日本の、公家の儀式がベースにあるのだが、そこに「ノアの方舟」と「パン(最後の晩餐)」という、壮大なテーマを持ってきたキリスト教系保育園の一途さには、胸打たれるものがあった。




さて、子供たちが数え五歳の時は、成田山(寝屋川にある成田山大阪別院明王院)に七五三詣へ行っている。「仏教の七五三がどのように行われているか」という研究のためである。

やはりお寺となると、その趣もだいぶ違う。

お堂の真ん中に座った僧侶が、お布施に応じたサイズの護摩木を、お堂の中で焚いてゆく。護摩木にはとても達者な筆文字で祈願事と指名が書かれている。

火事にならないのだろうかと、心配になるぐらい、お堂の中でばんばん焚かれる護摩木。ものすごく大きな護摩木もある。七五三の護摩木は、かわいいものだ。

それを取り囲むようにして並んだ十数名の僧侶が、一斉に声を出してお経をあげる。これもまた、大迫力で、骨の髄にまで響くようである。

お経が渦巻く御堂の中で、静かに正座しているのは、五歳児にしてみればちょっとした修行かもしれない。

さらに、終了後、希望者には額に梵字のハンコを押してもらえるのだ。


そして、帰りに渡されたお札には、


「五歳御修行」


と書いてあった。仏教においては、たとえ五歳といえど、生きることは修行なのだ。


それは確かにそうだなと素直に思う。彼ら双子は、生まれた瞬間から「待つ」「分け合う」という修行をしてきたからだ。


新生児の頃、母親である私はGCUで彼らが並んで寝ているゆりかごの前に座り、泣いたほうを抱き上げておっぱいをあげるということを一日中繰り返していた。彼らは未熟児だし母親の私も新米だし、授乳はなかなかスムーズにいかない。一人を授乳している間にもう一人が泣き出すというのも日常茶飯事だった。


待たされているほうは、ぐんぐん激しく泣く。焦る私。すると、巡回してきた看護師さんが泣いている赤ん坊に言うのだった。


「あんたら双子やねんから、待つのも仕事やで」


僧侶であれば「修行」と言うであろうところを、看護師さんは「仕事」と言った。そして、それは母親の私に対する「焦らずともよい、待たせてよい」というメッセージでもある。近代的な設備が整った命の現場でも、大阪の人はこうしたユーモアを欠かさずに、うまい具合に新米の母親を導いてくれる。


ともあれ、「修行」という概念は、双子においてはとてもしっくりくる。お母さんのひざに順番に座る。自転車の前に座ったら、次は後ろ。がまんして、待つ。これが修行でなくして、なんであろうか。


双子でなくても、年子でも、一人っ子でも、年の離れたきょうだいでも、やはり子供にとっては、「待つ」というのが最大の修行である気がする。自分一人でできることが少ないから、誰かにしてもらうのを待たねばならないから。


でも、よく考えたら、大人になっても、好きな人を待つ、子を授かるのを待つ、天職が見つかるのを待つ、仕事の成果を待つ、子どもが自分からするのを待つ‥等々、人生はそのほとんどが「待っている」時間だ。


一説には、「祭り」「祀り」は、「神を待つ」と同義であると言う。


「待つ」ことが仏教では修行となり、神道では祭りになる。けれど本質的には同じことなのかもしれない。



さて、五歳の彼らは、キリスト教系の保育園を卒園し、近所の幼稚園に通っていた。この幼稚園は宗教色はないが、氏神である片埜神社に揃って七五三参りにおみえになる。

私は自転車の前と後ろに双子を乗せ、幼稚園の送り迎えをしていた。当然、前に座るか後ろに座るかで双子は揉めるので、回数を均等にしていた。

ある日、幼稚園からの帰り道、どうやら私は家の鍵を落としてしまったらしく、双子と私の三人は、家に入れなくなってしまった。

今度は指にも引っ掛けていないし、カバンやポケット、どこを探しても見つからない。

すると、息子が「旅に出よう」と言い出した。

娘がすかさず「じゃあ、毎日ホテルに泊まろう。お母さん、ご飯作らなくていいから楽やろ」と言う。

私が「ごめん。財布も家の中だから、お金がない」と言うと、

娘が「私がくじびき屋さんをやる」としっかりした口調で言い、

息子は「オレは石を売る」と、そのへんの石をつかんでやる気満々に言った。

そして今すぐにでも旅暮らしを始めそうになったので、私はとりあえず今来た道を散歩がてら戻って鍵を探そうと提案し、3分の1ほど戻ったところで路上に落ちている家の鍵を見つけて家に入ることができた。

このとき、五歳という幼児でありながら、すでに「ものを売って稼ぎ、旅ぐらしをする」という発想に至ることに感心した私は、以来、五歳児の七五三参りのご祈祷のあとには、「今日から君は袴をはいた立派な大人だ、家族を助けてやってくれ。」という趣旨のことを、お子さんたちに伝えている。



神社の七五三は、それぞれの年齢になったことを氏神さんに報告して神から祝ってもらい、さらなる成長を祈願するものだ。片埜神社ではお札とお守りと千歳飴のほかに、年齢と性別に合わせたおみやげをお渡ししている。

うちの双子は、七歳は娘のみおこなったが、三歳と五歳は娘と息子二人揃って片埜神社で七五三参りをした。


五歳の七五三参りの後、家に帰って風呂場を掃除していたら、部屋の方から娘五歳の激怒する声が聞こえた。

「やめなさいっ! やめないと承知しない!」

何事か。と思って見にいくと、娘が自力で七五三のおみやげに入っていたビーズセットで完成させたビーズのネックレスを、息子が、おちんちんにぶら下げていた。

この時、七五三参りのおみやげ調達担当である私は、「ああ、ビーズセットは男子にかかるとこういう使われ方をするのか!」と新たな発見をしたのである。(もちろん、全ての男子がこういう使い方をするわけではないだろうが)。


昨今のジェンダー事情を鑑みて、男児のおみやげと女児のおみやげを違う内容にするのはもう時代に合わないのかもしれない‥と考えていたが、ものによってはそうでもなかったりするわけだ。



このような出来事を、なんでもかんでも手帖に記録している私の影響か、五歳のころは子供たちも手帖を欲しがった。

そこで、化粧品のノベルティ手帖は娘にあげた。五歳の娘は、その手帖を「世界が終わる時にお家を入れる用」の大きなかばんに入れ、「お疲れさまでした〜」と言って部屋を出ていく遊びをしていた。巫女のお姉さんたちがお仕事を終えて帰るときの物真似である。

家を片付けていると、おそらく先代宮司が枚方信用金庫(ひらしん)でもらったのであろう、昭和感の強い、黒いビジネス手帳が出てきた。今度は五歳の息子が「オレにくれよ。」と欲しがった。

革ではないが、黒革風の手帖である。まだひらがなも正確に書けないのになと思いながら、「何書くの。」と聞くと、「剣道でやったことを書く」というので、あげた。

当時、息子と私は一緒に剣道の道場に通っていたのである。



稽古が終わると、息子はひらしんの黒い手帖に、一生懸命、謎の図を書いていた。

メンやコテの軌道のようなものと思われる、非常に複雑な図である。

何度目かの稽古の後、今度は何か文字を書いているふうだったので、後でこっそり見てみた。

「ままわあほです」

と書いてあった。

小学校の高学年から野球を始めた息子は、「変化球ノート」をつけていた。なぜ分かったのかというと、ノートの表紙にこのタイトルが書いてあったからである。

私は、そのノートの中身を見たくて仕方がなかったが、必死にがまんした。


今は、双子がどんな手帖やノートを書いているのかは知らない。もしかして、ラップの歌詞や漫才の台本を書いているのだろうか? あるいは大谷翔平のように、目標と、それに向かってなすべきことを書いたりしているのだろうか? ライトノベルを書いたり、才能ほとばしる漫画を描いているかもしれない。

いろいろ想像するだけで、充分楽しませてもらっている。


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