通り過ぎる夏


あたまのてっぺんから足の先まで、夏がいっぱいにつまっている、体のどこを切っても、夏が出てくる、そんなのが夏であるのに、今年は、気が付いたら九月になっていた。


花火大会も、盆踊りも、海水浴もなかった夏が通り過ぎる。


いつもの夏なら、子供たちと一緒に、拾ってきた貝殻に名前をつけて遊んだり、海岸で拾ったガラスや茶碗の破片を、すぐ近くの穂谷川で獲ってきたメダカの隠れ場所にしたり、

浴衣を着て盆踊りに出かけたりするのだが。


私たちは、毎年、近所の4,5か所の盆踊りに出かけていて、中には、片埜神社が音響を担当している盆踊りもあったから、江州音頭はもう体に染みついている。


地域の盆踊りで音頭取りをしてくださる近江会の皆さんは、このときは3人の音頭取りが順繰りに音頭を取ってゆく、3MCのビースティ・ボーイズ編成だった。自由自在に歌い、アドリブを展開し、そして自由なタイミングで音頭取りを交代してゆく。


マイクのレベル調整が忙しそうだったが、音響卓を操るのは宮司とその仲間たちだから、私は子供たちと一緒に踊ったり、たこせんを食べたり、ある年には子供会の役で「あてもん」係をしたり。終盤に打ち上げ花火を見て、それから最後にうちわでの抽選会が終わるまで、存分に夏の宵を楽しんだものだ。


去年の夏は、枚方市の企業「しごとぎや たまゆら」さんと、牧野駅前の商店街のみなさん、牧野枚方えびすの福娘さんたちと一緒に、「たまゆらフェスタ」の盛り上げ隊で大阪のたくさんの企業を訪問させていただき、建設中の2025年大阪万博会場を見て、「わー!」なんてはしゃいでいた。(窓の外、後方に見えるのが万博会場)


ミズノ大阪本社のショールームでは、福娘さんたちが竹内涼真のパネルの前で盛り上がっているすきに、私は皇室に献上されたグローブを写真に撮って感動していた。





なんだか、今となっては、夏というはしゃいだ季節が、失われた楽園のように思われる。

令和2年の福娘さんたちは、大学の授業や就職活動がリモートになるなど、予定とは違う夏を過ごしていて、夏の福娘活動ができていない。


若い体と心に満々と湛えた福をもてあましていないか、気にかかる。なんとかして、彼女たちが世の中に福を蒔ける方法はないものか……。


思案しながら、熊手で玉砂利にすじをつける。いろいろな思いが頭をめぐる。


誰にとっても、多かれ少なかれ、今は思案と模索の時だ。


竹ぼうきで境内を掃く。掃いたところに水をまく。拭き掃除をする。歩きながら笛を吹く稽古をする。


机にじっとしているより、歩いている時のほうが、発想が出やすいのと同じで、体をいつもどおりに動かしていると、きらーん、と、ひらめきがあったりする。たいてい、些細な、あるいは、しょうもないひらめきなのだが、私は、どんなしょうもないことも神の采配だと思い、ありがたく手帳に書き留める。


それが、何か月も、何年も、ときには十数年先に、役に立ったりするのが、この仕事の醍醐味で、もしかしたら、何代か先の嫁に、役立つ情報かもしれぬ。


そう思うと、なんとなく幸先(さいさき)がよいような気がして、なんでもできる気がしてくるから不思議だ。


毎朝、おまいりに来られる方々も、きっと、それがルーティンになっていると同時に、おまいりという行為自体が、何かのひらめきの源泉になっているのだろう。


一言二言、言葉を交わすと、意外な縁で片埜神社におまいりに来ている方がおられて、感心したり、自分と意外なつながりのある方だったりして、やはり神の采配を感じてしまう。




能に、「田村」という演目がある。


旅人のワキが、清水寺の地主権現にたどりついて、そこで掃き掃除をしているシテに質問をするシーンからはじまる。


ワキ『いかにこれなる人に尋ね申すべき事の候』

(そこにいる人に尋ねたいことがあるのですが)


シテ『こなたの事にて候ふか何事にて候ふぞ。』

(私のことですか、どんなご用件でしょうか)


ワキ『見申せばうつくしき玉箒を持ち。木蔭を清め候ふは。もし花守にて御入り候ふか。』(見たところ美しく尊いほうきを持って、木陰を清めているあなた、もしかして花守の方ですか)


シテ『さん候これはこの地主権現に仕へ申す者なり。いつも花の頃は木蔭を清め候ふほどに。花守とや申さん。また宮つ子とや申すべき。いづれによしある者と御覧候へ。』

(そのとおりで、私はこの地主権現にお仕えする者です。いつも桜の咲く時期は木陰を清めているので花守と呼ばれています。また宮つ子とも言われますが、どちらにせよこの神社の関係者と思ってください)


実はこのシテが坂上田村麻呂の幽霊なのである。


能では数種類のお面を、演目ごとに使い分けているのだが、坂上田村麻呂の面は、平将門と同じ怨霊系のお面だそうである。現代では体制側の英雄というイメージが定着している田村麻呂が、能では怨霊系のお面をつけているというところに、しびれる。


夏のそうじ中にあまりにも暑くて意識がふわふわすると、自分が幽霊になった気がする。田村麻呂とはいかないまでも、誰か貴人の幽霊になりきって、「花守とや申さん」と言いたい気分である。


酔狂な何方か、おまいりの際に菅笠をかぶった掃除の者を見かけたら、「もし花守にて御入り候ふか。」と尋ねていただけませんか。


「言うてあげたいけど、こんなに暑くては、外に出るのもしんどいねん。」という時は、せめて動画で、しずかで小さな社(やしろ)の雰囲気だけでも味わっていただけたら、幸いです。






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