水無月と静かの海 



水無月になった。


狛犬の傍らの青梅は、白梅のは青々していて、紅梅のは李(すもも)の様である。



鬼の傍らには鼠糯(ねずみもち)の花が咲き、



牛の傍らでは車輪梅(シャリンバイ)が咲いた。


シャリンバイは葉っぱが車輪のようで、花が梅のようだから車輪梅というが、じつはバラ科の植物である。樹皮から作る褐色染料は大島紬に使われるという。


虫干しをしようと社務所の箪笥を大々的に整理していたら、先々代の大島と思われる単衣の着物が出てきたので、さっそく着て事務仕事。


驚いたことに、シャキッとした生地が気分を仕事モードにしてくれる上に、帯で体幹がまっすぐ保たれるから、デスクでパソコン作業をしていても、疲れない。むしろ、ジャージで片足あぐらをかいてパソコン作業をしている時のほうが疲れる! ということが分かった。



大島の光沢のあるしぶい黒は、絹糸のたんぱく質の上にシャリンバイのタンニン酸色素と奄美大島の泥田の鉄分が化学結合することにより出るのだそうで、染色は85回以上繰り返されるという。


その方法を発見した人、誰なんだ…。


なぜシャリンバイと泥の組み合わせに気づいたんだろう。


あきらかに自分たちより昔の人のほうが賢いと思ってしまうのはこういう時。


さて、六月は和名で水無月。「みなづき」の「な」は、「の」にあたる連体助詞「な」で、「水な月」は「水の月」という意味であるというのが通説である。

連体助詞「な」に「無」の字を当て、「ある」のに「ない」とするところがお洒落である。

それと、月の表面にある「静かの海」。


初めて聞いたときから、お洒落な名前だなと思っていた。


実際、そこには水がない。地球から見ると色が濃く、黒く見える地帯を「海」と呼び、海のうちのひとつ、「静かの海」にはアポロ11号が着陸した。


水がないのに海。

水があるのに水無月。

の と な の逆転。

月の表面の一地帯を「静かの海」と名づけたケプラーは、実際そこに水が存在すると思っていたので、「ないのにある」は、偶然のお洒落。


それを日本語に訳した人が、「静かな」ではなく「静かの」としたから、ちょっとフックのある、水無月の感性に通じた。これも偶然。


シャリンバイと泥田と絹糸の組み合わせも、偶然の産物なのかもしれないが、偶然をつかさどるのは神様だから、だとしたらやはり世界は神様が動かしている。八百万の神様が。




ともあれ、六月が水無月と呼ばれていたのは、明治以前に使われていた陰暦=月のみちかけの周期をひと月とする暦での六月。


太陽暦=いま私たちが公式に使っているグレゴリオ暦でいうと、今年の場合は、7月21日から8月18日が水無月である。

(めちゃくちゃズレとるやないか。)

(もう梅雨明けとるやないか。。ふつうに水ない月でええんちゃうか。。)

日本では古来、月のみちかけと縫い合わさるようにして物事をすすめていたが、明治になってグローバル化のために月との関係を解消し、まぶしすぎる太陽と関係をむすんだため、このようなズレが生じてくる。



だが、心配はいらない。明治政府が「明治5年12月3日」を「明治6年1月1日」にして以降、グレゴリオ暦で物事をすすめるようになってからは、おおかたの祭りや季節の行事が、新しい暦で行われるようになり、それはすぐに浸透して、私たちはいまの6月を「水無月」と呼んでいる。

旧暦の六月晦日(みそか)に行われてきた夏越の大祓もいまの6月30日に行われ、この日に京都では「水無月」という三角のかっこいいお菓子を食べる。


柔軟に受け入れて文化は残す。それが私たちのいいところである。もとの意味にこだわりすぎて文化が消滅するよりはましである。日本で売っている手帖には、太陰暦(旧暦)や六曜(大安や仏滅など)が記載されているものも多いし、公的には太陽暦を使い、実生活は太陰暦を使っている人もいる。





だが、ふと思う。

国際的に使われているグレゴリオ暦にシフトするため、明治5年の師走は3日間しかなく、ほぼひと月が消滅した。その時、人びとは、どんな気持ちになっただろうか。


村上春樹の小説に、「象の消滅」という不思議な話がある。動物園の象が、突然、消滅してしまう物語だ。明治5年の人たちはみな、あのような不思議な違和感に包まれたのではないだろうか。国民の人数ぶんの、膨大な違和感は今、宇宙のどこをさまよっているのだろうか…。




もちろん、象のように物理的に時が消滅したわけではないが、「時間」という目に見えないものを測るために名づけた「名前のついた日にち」が、消滅したのだ。

ちょっとそれは、今私たちが体感している、不思議な時間の流れと似てやしないか。


あったはずの行事や学生生活が、私たちの前から突然、消滅したのだから。

…ちなみに、今、明治時代に消滅したひと月を取り戻して太陰暦に戻したら、6月1日は4月13日になって、ふつうに新学期でいけるわけだけど…コンピュータシステムとか、デジタル関係は、パニックに陥るだろうから、現実的には無理。


便利だが融通のきかない世界に私たちは住んでいる。



20年前、「2000年問題」という、世界的な問題があった。

西暦の末尾が00になるから、1月1日午前0時になった瞬間、世界中のコンピュータシステムがバグって世界的停電が起きるかもしれないと言われた。ATMでお金がおろせなくなるという噂もあった。

結局、停電やパニックは起きなかったが、それはきっとブルース・ウィリスが体を張って阻止してくれていたおかげだ。

(若者に分からぬ例えをしてしまったと思い、小学生の娘に「人知れず世界を救っているキャラクターって誰?」と聞いたら、「アートソードオンラインのキリトか、鬼滅(の刃)の全部じゃない?」と言われた)。



グローバル化して、IT化して、海外や遠くにいる友達とzoom会議できるようになったが、逆に近所の友達にすら会えなくて、祭りは神職のみで……。ふとさみしくなっている時に、農家の総代さんが、「つるしておけば二月くらいまで食べられるたまねぎやで」と言って現れたときは、泣きそうになった。


「畑でソラマメ作ったからお供えして!」と地元の友達が持ってきてくれたときも。


日常の尊さに気づいて、感謝の気持ちが普段よりずっと素直にわいてくるのは、今回の疫病のおかげかもしれない。


「疫病神」あるいは「疫神」という言い方がある。疫病もまた神であるとし、疫病神をもてなし鎮めることで疫病を除けるのである。


今年はやむをえず中止になった祇園祭の山鉾巡行は、疫病などの厄災をもたらす疫神を鎮めるために、鉾や山をつくり、笛や太鼓でお囃子しながら町中を回る。地元で連綿と続いてきた厄病除祈願がたまたま観光の目玉になったものだ。


祇園祭といえば、昨夏、京都の雅楽研修で、祇園祭の宮本組(みやもとぐみ)雅楽班の方とご一緒になった。


山鉾巡行のイメージが強い祇園祭だが、神事の中心は神輿(みこし)の渡御であり、宮本組はその神輿を先導し神宝を捧げ持ち供奉する役割の人たち。ふだんは祇園で商売をしている老舗旦那衆を中心とする氏子さんで構成されている。

「祇園祭の前には忌みに入る」とおっしゃるので、「え?どんな?」と聞いたら、「まあ、女の子と手ぇつないでそこいらへん歩いたりしないようにするんですわ」と笑っておられたが、さすが京都、「忌に入る」という概念が普通に存在するのだなあと思った。




忌み、というのは神道的には、凶事(まがごと)罪穢などに触れないように慎んだり、それらを抜き去ったりして神事に備え、吉事到来を願うもので、「斎み(いみ)」と同義である。祭りが終われば「忌み」の状態から日常の状態に戻る「直会(なおらい)」という、いわゆる打ち上げのようなものを行う。


神様にお供えする御饌(みけ)を調理する火や、祈祷木を炊き上げる火のことは「忌火(いみび)」と言うし、御饌をつくる人は心身を清め口を覆っておこなう。御饌を神前に供えるときも自分の息がかからぬよう三方を高くかかげて運ぶ。昔から、息は穢れていると感覚的に知っていたのだろう。



こうした「忌み」の概念は神職や宮本組のような氏子崇敬者の方々だけでなく、広く日本人全体の奥深い層に基本としてあるような気がする。

神社にお参りする前にかならず手と口を清めるのも(現在は柄杓の使用は控えている)、厄年には厄災を避けるために行動を慎むのも、忌みのひとつ。


私たちは、人生の中で、あるいは一日のなかで、忌みに入り、また通常に戻るというリズムを繰り返してきた。


四季があり、二十四節気があり、その節目ごとに穢れを祓ってきた、それが体内リズムになっている。

そして、令和二年、この四月、五月と、ほとんどの人が手と口を清めることを心がけ、穢れを人に移さぬよう口を覆い、可能な人はできるだけ家に籠って外に出ないようにし、長めの「忌み」に入っていた。

連綿と続けられてきた忌み→祭り→直会 というリズムが遺伝子に組み込まれている私たちは、一定期間「忌に入る」「穢れを避ける」ということを、比較的じょうずにできたのではないだろうか。


そういう意味で、今年は祭りが「ない」としても、実は「存在している」。今までの積み重ねによって「ない」は「ある」に転じている。と私は思う。


ただ、こんどの忌みは、長く続きそうだし、忌みながら活動(あたらしい生活様式)という、新技も編み出さなくてはならない。それでも、暦を手放しても文化は手放さなかった方式で、私たちはきっとじょうずに乗り切れるような気がしている。

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