梅の香りで呼び出されるもの



今年は梅が早いですね、と声をかけられる。


たしかに、この冬はあたたかく、梅が早い。


一月なかば、月夜の晩に、かすかに漂ってきた梅の香り。築地塀の外、石玉垣の内側に入って梅の木に近づくと、ちいさな花が一輪だけ咲いているのを見つけた。


翌朝、助勤の神職さんが「きょう僕、出勤途中に、ここの最初の梅の花、見つけましたよ」と嬉しそうに報告してきた。この神職さんは、一番星を見つけたかのごとく、最初の梅の花や実を見つけては報告してくれるので、「そうですか。今年は早いですね」と褒めてあげた。


でも、今年は私のほうが先に見つけてたんだよん。


梅は、匂いが先。花があとにくる。


あれから二週間。境内の梅たちが花を咲かせはじめた。今、節分を過ぎた境内には梅の香りがふわふわと漂っている。




参道から拝殿に向かって、左側が白梅、右側が紅梅。

紅梅のほうが、少し遅いのは、毎年のことである。


白梅に寄って見てみると、しわしわの茶色い枝から、不似合いなほどのみずみずしい緑の枝が唐突に生え、そこに白い花がついている。花の近くに寄ると、むしろ匂いはしないのが不思議。この白梅は、野梅に近い、中国から渡来した梅の子孫と言われ、野梅(やばい)系と呼ばれている。緑の新梢は、陽に当たるとだんだん茶色く変化し、まわりとなじんでいく。


そして、紅梅は、その花の色から、緋梅(ひばい)系と呼ばれている。寄ってみると、やはり新梢が生えているが、中の赤が透けて赤茶色に見える。


枝の中からすでに、紅い色を持っているので、草木染めをするとき、緋梅系の梅の枝を煮出すと紅い色に染まる。花が白くても枝の髄が紅いものは緋梅系に分類される。



では、手水舎の横にある、よく桃と間違われるこの人は、野梅、緋梅、どちら系なのだろう。

私が調べたところによると、野梅系の八重寒紅(やえかんこう)か、緋梅系の唐梅性(とうばいしょう)か。といったところだが、分からない。写真から植物を判定するアプリで撮ってみたが、すべて「ウメ」というざっくり判定。使えん。どなたか、梅の品種に詳しい方がいたらお知らせください。


さて、梅の木は、菅原道真公を祀る神社の多くに、植えられている。道真公が梅の木を愛し、和歌や漢詩に詠んだからである。


道真公が十一歳のときに、初めて作った漢詩は、梅を讃えるものだった。


月耀如晴雪 梅花似照星 可憐金鏡轉 庭上玉房馨

つきのかがやくは はれたるゆきのごとし ばいかはてれる ほしににたり あわれぶべし きんきょうのてんじて ていじょうに たまぶさのかおれることを


「梅の花は星に似てる」というのだから、白梅なのだろう。

「金鏡=月がゆっくり動いて、玉房=白梅がふわりと香るよ、すてきだな。」



夜だよ、夜。たしかに素敵。さっきまでそこにあった月が、ほら、いつのまにかあっちへ移動している……と、ふと気づくあんばいで、白い梅の香りも、いつのまにか漂ってくる。


それにしても、この「いつのまにか感」は、大人になって、夜更かしして、誰かとしゃべっていたり、お酒をいただいたりして、ふわふわした時が流れた際に、ふと感じるものであって、とてもじゃないが、うんこしっこ言ってはしゃいでいるはずの数え十一歳が感じるものではない。


「いつのまにか漂ってくる梅の香」を、月になぞらえて、すべて漢字で詩にするなんて、やっぱり道真公は子供の頃から神だったんだな。と、小学生男子の母として、感嘆を禁じ得ない。


そして、道真公が藤原時平との政争に敗れて大宰府へ左遷されたのち、延喜3年(903)に作った漢詩(これが絶筆となった)にも梅が読み込まれている。


盈城溢郭幾梅花

猶是風光早歳華

雁足黏將疑繫帛

烏頭點著思帰家


…もう、漢字が難しくて、読まれへんよね。


だから、いろいろな解釈を読んで総合的に、自分に都合のいいように解釈していいと思う。

たとえばこんな感じに…


城(都府大宰府)一面にどれほどの梅が咲いたかと思った

この雪はやはり日の光に輝く早春の梅の花のようなんだ

雁の足に雪がついて白色の手紙を付けているかと思った(*蘇武の故事)

烏の頭に白い雪が点をうったようについて頭が白く見えて

これで家に帰れると思う(*燕の太子丹の故事)


2020-903=1117年前の詩。


後半は中国の故事になぞらえているらしいのだけれども、そのへんはまた勉強するとして、

境内に梅の香りが漂うと、1117年前の、「家に帰らんことを思ふ」道真公の切ない気持ちが胸に刺さる。まるで、梅の香りがスイッチとなり、千年の時を越えて、その魂が呼び出されるかのようだ。


菅原道真公を祀る神社のほとんどに、梅の木が植えられているのは、道真公の鎮魂のためなのだろう。


片埜神社は、野見宿禰の創建。創建当初は、素戔嗚尊(スサノオノミコト)一柱をご祭神としていたが、のちに野見宿禰の子孫である菅原道真公が神格化されたことにより、道真公もお祀りし、主神が二柱となった。


ゆえに、境内には梅の木が植えられ、道真公の梅の神紋が入った牛の像も、奉納されている。(道真公は、牛も愛でていた)。

毎年、早春に梅が花をつけ、その香りを漂わせることにより、参拝する人びとの魂と、道真公の魂が交流するのだ。鎮魂(ちんこん)である。


鎮魂(ちんこん)というと、今の世では「死者の霊をなぐさめること」、という意味になるが、神道でいう「鎮魂」は、たましずめとも言い、生きている自分の魂を、しかるべき位置に納める行事のことを言う。


鎮魂の行は、禊(みそぎ)の後に行われることが多いので、わたしたち神職にとっては、禊と鎮魂はセットである。禊は、男はフンドシ、女は禊着(薄い半襦袢と白い短パン的な服)で、水に入って行う。鎮魂は、禊を終えて水から上がり、安座になって、腕をゆっくりとまわしながら、ひぃ、ふぅ、みぃ…と数え、魂を自分のお腹の中の深い部分に鎮座させていく。


スタイルは瞑想に似ているが、無我の境地は目指さない。自分の魂を自分の中に納めるのが神道における「鎮魂」だからである。


さて、死者の霊を呼び起こしてお慰めすることと、自分の魂を所定の場所に落ち着かせることが、「鎮魂」という同じ言葉で表されるのは、両方が結局は同じことだからではないだろうか? と私は思う。


たとえば梅の香りをかいで道真公の魂を感じるとき、自分の魂のありかも、同時に感じるからである。


梅の香りだけではない。


季節をひとつ巻き戻して、秋の話。

境内には花梨の大木があり、秋には大きな実がどすん、どすんと落ちてくる。


私の生まれたインドでは、頭上からココナッツが落ちてくるが、当たるか当たらんかは時のいたずらということになっている。だが、日本ではそういうわけにはいかないので、花梨の実が落ちてくる時期は、花梨の木周辺に虎ロープをめぐらしてある。


落ちてきた花梨の実は、よく洗ってから輪切りにし、焼酎につけて花梨酒にする。花梨酒は喉の薬として、正月の間、えびす祭の間、喉をたくさんつかう神職やスタッフが飲むのである。


もともと花梨酒づくりは姑の担当で、私は飲むだけだったが、昨年からついに、私の担当となってしまった。


夜中の社務所の台所。ヘッドホンをして、音楽を聴きながら作業することにした。気のすすまない作業をするときには音楽の力を借りるとよいのだ。


なんとなく、死んだ友達が生きていたときによく聞いていた曲を爆音で流すことにした。


するとどうだろう。


花梨の匂いに包まれ、脳内に爆音で曲が流れると、死んだ友達が生きていたころの、おもしろかった場面や、楽しかった出来事が、つぎつぎに召喚され、友達の言ったギャグで、ひとりで笑ってしまったりした。それはとても大切な時間で、花梨酒のびんが5つ出来上がるころには、わたし自身の魂も、なんだか落ち着いていた。


梅の香りと道真公の漢詩が千年の時を越えるように、花梨の香りと爆音の曲が、鎮魂のスイッチになったのかもしれない。


自分なりのスイッチが見つかれば、自分だけの方法で、ちゃんとした鎮魂の時間を持つことができる。ような気がしている。


境内の花梨の実は、ちょうど七五三の次期から十二月にかけて次々と落ちてくる。漬けても漬けても落ちてくる。社務所の玄関先に置いておくと、参拝者のおばちゃんたちが、頂戴、頂戴と持ってゆく。ひとつだけ持っていく人もあれば、たくさん持っていく人もある。たくさん持っていく人は、鎮魂する友達が、たくさんいるのだな。と思う。

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