桜と死、そしてボーイズラブ

俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。

(梶井基次郎「桜の樹の下には」)


「檸檬」の梶井基次郎が書くずっと前から、桜と死は切っても切れない関係にあったように思われる。




枚方八景のひとつにも選ばれている「牧野の桜」。片埜神社の北側にある牧野公園は、桜の名所として知られるが、ここにも、ある武将の首が埋まっていると伝わる塚がある。

平安時代、征夷大将軍 坂上田村麻呂によって平定された蝦夷(えみし)の武将、阿弖流為(アテルイ)と、副将である母禮(モレ)の首である。


牧野公園は、現在、市の所有であるが、戦前までは片埜神社の宮山であった。

阿弖流為と母禮が斬首された時(802年)には、すでに片埜神社は存在しており、牧野公園はやはり宮山であったと思われる。

宮山ということは、神域であるから、血の穢れは最も避けられるはずの場所。そこにあえて首を埋めたとなれば、その禁忌をひっくり返すだけの理由がある。よほどの高貴な人物か。祟り神となり得る人物か。あるいはその両方か。

いずれにせよ、その霊力の大きさが最大級の人物でなくてはいけない。朝廷軍を苦しめ「悪路王」と恐れられた武将、阿弖流為ならば、それに値するだろう。




そもそも片埜神社は出雲の豪族、能見宿禰(のみのすくね)が大麻蹴速(たいまのけはや)に相撲で勝ち、交野ケ原一帯を拝領した際、出身地出雲の神「素戔嗚尊(スサノオノミコト)」を祀ったのが草創であり、祀られたスサノオ自体が荒ぶる神なのである。(高天原で暴れ、姉である天照大神を怒らせ、天の岩戸隠れの原因をつくったのがスサノオ)。

平安京からみて裏鬼門、のちの大阪城からみると鬼門という、方位的要所にあたる交野ケ原は、霊的に強い門番が必要だった。荒ぶる神スサノオの鎮座する片埜神社の北側神域に、「悪路王」阿弖流為の首が鎮まるとなれば、この地の霊力はさらに増す。



現世では、坂上田村麻呂のほうが数々の伝説を残した歴史的英雄として名を知られているが、霊的存在としては阿弖流為もまた田村麻呂同様に力を発揮し続けてきたのではないだろうか。

坂上田村麻呂が、投降してきた阿弖流為の助命を朝廷に嘆願したという一文が歴史的文献に残されていたところから、後の時代の劇作家たちは好敵手田村麻呂と阿弖流為の友情物語をふくらませた。

男が男に惚れる。敵ながら、その戦いっぷりに惚れる。観客はその精神的ボーイズラブに萌える。(「萌える」という言葉のこの使用法を発明したのは誰だ? もはや「萌える」でしか、この感情を表せない気さえする)。

『歌舞伎NEXT阿弖流為』では中村勘九郎が田村麻呂を、市川染五郎が阿弖流為を演じ、二人の関係を痛快に演じて観客にカタルシスを与えた。宝塚歌劇団も星組トップスター礼真琴が就任早々、『阿弖流為-ATERUI』で阿弖流為役を演じ話題となった。市川染五郎も礼真琴も、公演前に牧野公園の首塚を訪れている。

枚方市では地元の子供たちで構成されたレベルの高い現代組踊の集団「ひらかた肝高クラブ」が「火怨の蝦夷 阿弖流為」を主演目として定期的に上演し続けている。昨年は悪天候のため実現しなかったが、毎年9月の阿弖流為慰霊祭においては首塚の前で演目を奉納するなど、演劇のひとつの重要な機能である「鎮魂」の役割を見事に果たしている。

ようやく、阿弖流為も影の存在から表舞台へ出てきつつあるようだ。

(写真は昨日わたしが片埜神社境内の紫陽花園の草ひきをしていた時、応援に横切った猫。本文とは関係がありません)。



さて、いまの枚方市が平安時代には交野(かたの)と呼ばれており、方角的、呪術的に重要な地であったと同時に、そこは皇室の御領であり古来から狩猟地として名高い場所でもあった。


たとえば枚方市「禁野(きんや)」は貴族以外が狩りをしてはならない禁猟地であったところ、いまは京阪電車の駅名にもなっている「牧野(まきの)」は貴族のための馬の牧場であったところ、というぐあいに、今の地名にもその名残がある。


それゆえ、歌集に残る貴族たちの歌にも、歌枕として交野が登場する。

狩暮らしかた野の真柴をりしきて 淀の川瀬の月をみるかな

(日が暮れるまで狩りをして、交野の雑木を折って寝床にして、根っころがって淀の川瀬の月を見ている。)

藤原公衡 「新古今集」



けふも早交野のみ野に立つ鳥の 行へも見えす狩くらしつつ

(早くから夢中になって交野の鷹や雉を追っていたら、今日もまた気が付いたら日が暮れていた。)

足利義詮「新後拾遺集」


み狩りすと楢の真柴をふみしだき交野の里にけふも暮らしつ

(鷹狩をするというので、馬に乗って楢の雑木を踏みしだいて追いかけていたら、今日も交野の里で夕暮を迎えてしまったよ。)

源師頼



野遊びは、朝早くから始めても、あっという間に日が暮れてしまう。それだけ、夢中になれるということで、つねに政治的争いの中にあって来し方行く末を案じなければならない貴族にとって、絶好の気散じだったにちがいない。


余談だが、いま、私たち神主が通常の祈祷の際につける装束は狩衣(かりぎぬ)と呼ばれ、これは貴族が狩りに出る際の装束からきており、祭りの時の斎服に比べ、動きやすく馬にも乗りやすく、自分でさっと着られる。毎日着ながら、なるほどな、と思う。




そのころの貴族の狩りというのは優雅な遊びで、狩りのあとには酒宴を開き和歌を詠んだ。 狩りの名所であった交野は、春にはまた桜の名所でもあったから、交野の桜も、歌に登場する。





またや見ん交野のみ野のさくら狩 花の雪ちる春のあけほの

藤原俊成(新古今集)


交野で桜狩りをして、花が雪のように舞い散る春の明け方を、また見ることがあるだろうか。いや、ないだろう。


この歌は、伊勢物語の中の、在原業平の歌が元歌と言われている。


藤原氏の権勢の中で皇位継承争いに敗れた惟喬親王は、この地に渚院を建て、狩りや宴をしてその憂さをはらした。いま枚方市「渚(なぎさ)」という地区が、渚院があった場所である。

惟喬親王の腹心であった在原業平が、渚院で惟喬親王と過ごした時のようすが、業平が主人公とされる「伊勢物語」に書かれている。八十二段 春の心は である。

……狩はねむごろにもせで、酒をのみ飲みつつ、やまと歌にかかれりけり。いま狩する交野の渚の家、その院の桜ことにおもしろし。その木のもとにおりゐて、枝を折りてかざしにさして、上中下みな歌よみけり。馬の頭なりける人のよめる、

世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし

となむよみたりける。又人の歌、

散ればこそいとど桜はめでたけれうき世になにか久しかるべき

とてその木のもとはたちてかへるに、日暮れになりぬ。御供なる人、酒をもたせて野より出て来たり。この酒を飲みてむとてよき所を求めゆくに、天の河(あまのがわ)といふ所にいたりぬ。……

「馬の頭なりける人」というのが在原業平であり、したがってこの二首は業平の詠んだ歌とされている。

白洲正子は、著作『両性具有の美』の中において、この歌について、「二首ともに親王の身の上を桜にたとえて慰めているのだが、こんな風にいわれてうれしく思わぬ人がいるだろうか」と記し、さらに「男の友情もここまで深くなれば男色関係などあってもなくても同じことで、男女や主従を超えたところにある美しい愛のかたちが、雲間を出ずる月影のように、あまねく下界を照らしているように見える」と、深く共鳴している。

白洲正子にこんなことを言うのは叱られるかもしれないが、ここにもまた、精神的ボーイズラブに萌える大人がいた。

さて、ここで今まで出てきたボーイズの生まれ年をみてみる。

坂上田村麻呂が生まれたのは758年。

阿弖流為が生まれた年は不明。

阿弖流為が首を切られたのは802年。

坂上田村麻呂は811年没。

在原業平が生まれたのは825年。阿弖流為が首を切られてから23年後。

惟喬親王が生まれたのは844年。

あれっ。

ほとんど同時代じゃねぇか。

と、つい江戸弁が出てしまうほど、近い。

田村麻呂と阿弖流為。惟喬親王と在原業平。世界観のちがいからか、この二組が、ほとんど同時代にあったということが、にわかにはイメージしにくいのだが、じつはそうだった。

時を超えて私たちを魅了しつづける二組の「萌え」事案が、ほぼ同時代に、同じ土地で起きていたということを、世の中の人々に、いったい、どうやってお伝えしたらよいものか……。


やっぱり漫画だよなぁ。絵は大事だよなぁ。


などと思いながら、自粛と雨模様のためかまったく花見客がおらず、霞か桜か分からぬ幻想的な状態になっている牧野公園を歩いていたら、その神さびた風景の向こうに、ふと古代の「いとうるはしき友」の存在を感じ、胸をつかれて立ち止まってしまった。

ここで急に私事をはさんで申し訳ないが、牧野公園の「伝 阿弖流為・母禮の塚」の傍らにその顕彰碑を建てる仕事は、私が片埜神社に嫁に来てから後に始まった。張り切って事務局の仕事を終え、節分祭で威勢よく太鼓を叩き終えた翌日、私は初めての子を流産してしまった。


不幸自慢のようになるといけないので書いておくが、人間は、そもそも10人くらい生んでそのうち3人は流産・死産するようにできている動物であって(産院の先生がそうなぐさめてくれた)、処置をした翌日からだまって仕事に行っている健気な女性も、たくさんいる。

なんてことはない。運が悪かったのだと思うことにしたが、その後しばらくは空の端っこに大きな穴があいていて、楽しげな気持ちはその穴からぜんぶ出て行ってしまった。毎日のように新しいことを思いつき、実行したが、腹をかかえて笑っても、その笑いがものすごい風圧で空の穴から出て行ってしまう。そのせいで、地上の空気は薄く、息苦しかった。

それは十数年も前のことで、空の穴がなくなったのはいつだったか、もう思い出せないが、桜の季節になり、首塚に花が舞い散るようすを見ると、少しだけ息が苦しくなる。




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