厄年の技術

師走に入り、事始めに行われる鎮火災とみかんまき神事が終わると、いよいよ新年が迫ってくる。





自分は来年厄年なのでしょうか?

誕生日前と後は関係あるんでしょうか?

学年ちがうんですけど同じ厄年でしょうか?


分からないよね。私だって分かりませんでした、神社に嫁に来る前は。


まず、厄年は、数え歳で決まります。

数え歳というのは、生まれた時点で1歳、正月が来ると、年神様から1つ歳をいただくという、歳の数え方。大晦日に生まれた赤ちゃんは、翌日の元日には数え2歳。たとえ新生児感満載でも2歳。学年関係なし。生まれ年が同じ人は、全員同じ歳。




さて、令和2年の本厄は、次の方々です!(その前後の歳が、前厄・後厄)


女性

平成14年生まれ(数え19歳 うま)

昭和63年生まれ(数え33歳 たつ)

昭和59年生まれ(数え37歳 ねずみ)

昭和35年生まれ(数え61歳 ねずみ)


男性

平成8年生まれ(数え25歳 ねずみ)

昭和54年生まれ(数え42歳 ひつじ) 

昭和35年生まれ(数え61歳 ねずみ)


あああああ。厄年だ。やばいやばい。

と、ひとしきり慌ててから、ふと疑問に思う。「同い年の自分ら全員、最悪の一年なのか? そんなの、大雑把すぎやしないか?」と。「女が男より一回多いやないかい!」と。


厄年をすでに五回(19・32・33・34・37)経験した私の考えでは、厄には、時間的厄と、空間的厄がある。


1、一人の人の、人生という時間の中に発生する、時間的厄。

(努力ではどうにもならない不運が続くときって、あるよね)

 

2、集合体の中に発生する、空間的厄。

(おおぜいの人がいれば、かならず割を食う人がいる。たまたま竜巻に巻き込まれる人のように)


実際問題、厄は予告もなく突然に発生する。時間にも空間にも。心の準備ができていないから、とても慌てる。とくに日本人は言霊を信じているため、最悪の事態を想定してそれを口にするということは、めったにしない。なぜって縁起が悪いから。口にしたら本当になってしまうから。







なのに、厄年は、堂々と「厄災に会いやすい年」だと宣言しているのだ。最初から負のイメージを口に出しているのである。


言霊信仰がしみついている日本人にしてはめずらしい。


これってどういうことなのだろう。


毎日毎日、厄除祈祷をしながら考えた。そしてこれは技術なのだと考えるに至った。


いつ・どこに発生するかわからない厄災を、とりあえず一年、自分から引き受けて、「厄年」という役を一年間つとめる。それにより、時間的・空間的厄災を自分たちでコントロールしようとする精神の技術、それが「厄年」なのではないだろうか?





厄除は、「予告なく」ふりかかるはずの厄災を、年齢を指定することにより「予告あり」の厄災とし、さらにそれがふりかかる前に「祓っておく」ことでダメージを最小限におさえる、という、とてもよく出来たシステムなのではないか?


わたしたちは、厄年という役を演じている。よりリアルに、りっぱに厄年の人を演じ切ることで、厄が落ちるのである。なんだか不思議なカラクリのようだが、私たちは先祖代々、そうやって人生の理不尽を味わい、乗り越えてきたのだ。


だから、厄年に当たったら、まずは厄年のはじまりに厄除祈祷を受けて、氏神様に厄年であることを奉告する。そして厄年の一年間(その前後一年間も)、ちょっとした怪我やトラブル、理不尽な目に遭ったら、ぜんぶ厄年のせいにしよう。「厄年だから厄災にあったんだなあ! 厄除しておいたからこの程度で済んだのだなあ。ありがたい!」と、家族や友達にも言おう。厄年であることを、自他ともに味わい感謝するのである。そのたびに、ひとつ厄のノルマが消化される。厄年が明けるころには、人生で受けるべき厄ノルマを、かなり消化しているだろう。そして、ありがたい!ポイントが、かなりたまっていることだろう。



日本には、「見立て」というすばらしい文化がある。そこに実在しない厄災を、ある、と「見立てて」先に祓うのだから、厄除も見立てのひとつなのだと思う。厄除なんて無意味だ、と言わずに、ぜひこの文化的に高度な技術を実践していただきたい、と思います。




















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