眠れぬ夜と人生儀礼





片埜神社がある大阪では、お宮参りは、生後およそ一か月で行われるのが習わしだ。


もともとは、産屋(うぶや)で生まれた赤ちゃんが、初めて外に出て氏神さんにご挨拶に行くという日であるので、赤ちゃんの額には魔除けの印として朱(現代では口紅)で「大」や「小」の字が書かれる。神社につくまでの道中、魔がつかないようにとのおまじないである。


神社に到着し、初宮詣の祈祷を済ませると、氏神さんは産土神となり、そのお子を守護するので、もう魔除けの印は必要ない。


という、古来の人生儀礼なのだが、なんらかの事情で、生後三か月、生後半年、といった月齢で初宮詣に来られる赤ちゃんもいる。


暑すぎる時期、寒すぎる時期を避けていたらそうなった、という場合もあるが、たいがいは、その赤ちゃんが、外に出られるようになるまで、それだけの月日がかかったということが多く、母親たちは眠れない日々を過ごしていたのである。


私もそのひとりだった。

双子はたいがい、産み月よりひと月かふた月は早く生まれてくる。合計の重みに母体が耐えられないためである。


早く生まれた赤ちゃんは体が小さく、そのぶん胃も小さく、お乳の飲み方も達者ではない。二十分かけて授乳しても、その三十分後にはお腹をすかせて泣き出す。要するにちょっとしか飲めていない。それが、最初のうちは24時間繰り返される。


この調子で双子に、交互に授乳するとなると、母親は常に授乳している状態になり、比喩でなく、リアルに寝る間がない。がんばってつきあってくれている夫や姑も、手伝いに来てくれた実家の母も、いつかは寝る。よほど疲れたのだろう、彼らは布団までたどり着けずに畳や廊下につっぷして寝ていることもあった。


だが赤ん坊の母親は眠れない。泣いている赤ちゃんをあやしながら、畳や廊下で行き倒れている人たちをまたいで、行ったり来たりする。泣き止まない。おむつが濡れていないか確認。さっき授乳したばっかりだけど、おなかがすいてるかもしれないから、(すいているかどうかなんて、飲ませてみなけりゃわからんし)、また授乳。やっと寝た子をそーっと下ろす。するともう一人が泣き出す。


A泣くA授乳A寝るB泣くB抱っこするためにA下ろしたら泣くBも待たされすぎて泣くAを泣かせたままB授乳B寝るB下ろしてA抱っこゆらゆらA下ろしたら起きて泣くそれにつられてBもなくAB号泣


この無限ループに、おむつ交換が入る。


社務所で丑三つ時に授乳をしていると、お百度を踏んでいる方の、鈴を鳴らす音が定期的に聞こえてきた。「寝ずにがんばっている人が、近くにいる」という親近感で、とても心強かった。


とはいえ、人間、眠らずに一か月は、さすがに生死にかかわる。


そこで、ほとんどの双子親が、保健師さんからすすめられるのが「同時授乳」である。左右の乳房から双子に同時に授乳するという意味だ。


二人の赤ちゃんを同時に授乳できれば、時短になり双子の生活リズムも整うのでお母さんの睡眠時間を確保できる。まるで「働き方改革」のようだ。双子用の育児書にも、明るく「ぜひ同時授乳にチャレンジしてみましょう!」と書いてある。


だが、思い出してみてほしい。





人間の赤ちゃんは、生まれてから三か月もの間、首がぐにゃぐにゃだ。

サルのように、自分でお母さんにしがみついて飲むことができない。


そこで双子出生率の高いアメリカで考案されたのが「双子用授乳クッション」だ。「く」の字をしたクッションの、鋭角の部分に母親が入る形で地べた(またはベッドの上)に座る。クッションの右ウイングと左ウイングに、それぞれ、ラグビーボールを抱くような形で赤ちゃんを載せる。そして、右おっぱい、左おっぱいから同時に、各自にお乳を飲ませるのである。英語のサイトにはTandem nursingと書いてある。


このクッションのユーザー(アメリカ人)が、

「これを使いこなすには、あなたにあと二本、腕があるか、よほどのニンジャ・スキルが必要です」

とコメントしていたのが気になったが、とにかく睡眠時間確保のために取り寄せてみた。


実際に使ってみると……首がぐにゃぐにゃの赤ちゃんを一人、クッションの右ウイングに載せることには成功した。だが、その態勢でもう一人、首がぐにゃぐにゃの人を持ち上げて左ウイングに載せるのが、本当にあぶない。や、やっぱり無理。腕がもう2本か、ニンジャ・スキルがたしかに必要であった。


「だれかー。だれか来てくださーい!!」

社務所は広い。全員仕事中。それでも大声で何度も呼ぶ。赤ちゃんたちは泣き出す。


すでに右ウイングに乗っている赤ちゃんは、おっぱいがもらえると思って期待をしているのにまだもらえないから、怒りの号泣。


やっと気づいた人が来る。左ウイングにセット。右ウイングの赤ちゃんは怒りながらすでに飲み終わった。左の赤ちゃん、待たされて怒り泣き。そのうえ、こっちのおっぱいじゃ気に食わないという顔をし、怒りの号泣。


その後も、何度か試みたが、このクッションに載せるだけで赤ちゃんたちの怒りが爆発し、授乳どころではないのだった。


そもそも、二卵性で、体格にも差がある男女の双子に、同時に揃って飲み始めて飲み終わるという双子的シンクロニシティを期待したのがまちがいであった。


結局、第三者がいるときは、一人にミルクをお願いし、私は一人に母乳を。しばらくして交代。いないときは、両方泣いていても、心を鬼にして、順番に一人ずつ授乳。という、元の形に落ち着いたが、自分のごはんは丸投げ。洗濯もなるべく丸投げ。そうじはしない。と割り切った。


双子が同時に寝たときは、少しでも母乳を搾乳しておいて、あとから哺乳瓶でも母乳をあげられるように、とがんばっていたが、それもやめた。時間があれば、干し芋をさっさと食べて眠ることにした。


双子たちも、だんだん、母乳が大好きな子とミルクも大好きな子と個性が分かれていき、それはそれ、もうタイミングを合わせようとは思わなくなった。


「どちらにも平等に、できるだけ母乳率を高く」

双子や三つ子など、多胎児の授乳では、助産師さんや保健師さんから、まずそのように指導される。けれども、それをまともに実行しようとすると、母親が廃人になりかねない。


姑は、完全母乳で子供たちを育て、婦人神職の会でも、母乳育児を推進してきた。きっちり三時間おきにおっぱいをあげて、おっぱいしかあげへんかった、と言っている。それが、おばあちゃんになった今でも、自信につながっている。理想を実現したという自信である。


いっぽう母は、駐在先のインドで私を産んだので、私は、お手伝いさんからミルクをもらうこともしばしばだったらしい。四歳だった姉が夜に泣いて、新生児の私をお手伝いさんに預け、ムンバイの街を、夜中にぐるぐるドライブしてまわったこともあると言う。


本人は、新生児時代のことなど、全く覚えていない。

覚えていて、自信やギルティを感じるのは、子育てしている母親のほうなのだ。


いま、眠れていないお母さんたちは、自分が倒れるより前に、精神が崩壊するより前に、さぼってほしい。本当にどうしようもなかったら、赤ちゃんのお世話を誰かに丸投げしたっていい。


私は、社務所に住んでいながら、双子を拝殿まで同時に連れて行って二十分間参列できるようになるまでに三カ月かかった。正直、めんどくさいなあ、宮参りなんて、それより寝たい。と思っていた。


だけれど、三か月後、拝殿に姑と母、それぞれに抱かれた双子が揃っているのを見た瞬間に、お湯が沸くほどの熱い感動を覚えた。これまで自分が関わってきたすべての人たちに、感謝の気持ちが沸き起こった。実に不思議だった。


最初から人生儀礼に「時季」の決まりがなかったら、時季通りに遂行できた幸運も、時季は遅れたがついに遂行できた感謝も、薄まってしまうような気がする。


健康で、物事がいくぶんうまく行っていると、「今ここにいられる」というだけで幸せを感じる状態に、自分で持っていくというのは難しいものだ。


挫折したり、物事がうまくいかなかったりすると、知らん間に幸せのハードルが下がって、そのあと、なんとかふつうの生活に戻れたときに、えもいわれぬ幸福感を味わえる。こっちのほうが、むしろお得。


眠れぬ夜をたくさん過ごした人ほど、人生儀礼において多幸感を味わうことができる、と私は思う。



0回の閲覧

このサイト内の画像・テキストの転載はご遠慮ください。 片埜神社社務所