イヌの日に巻くもの

最終更新: 9月5日



戌(イヌ)の日が近くなると、社務所の一室には、白い晒し木綿が竹竿にぶら下がっている。妖怪「一反木綿(いったんもめん)」が休憩しているのだ。


というのはうそで、正体は妊婦の腹帯だ。

その証拠に、長さは一反ではなくて、その半分なのだ。


墨で「安産祈願」と「妊婦の名前」を書き、神社の朱印を押した後、しっかり干して、墨や朱を定着させておくと、あとから洗剤でジャブジャブ洗っても落ちないから、こうして干しているのだ。干したあとには安産祈願祭でお祓いされ、妊婦さんに手渡される。


一反というのは、着物が一着つくれるぶんの布の量のことだから、そこから腹帯を2本つくるということは、けっこうな贅沢だ。手もとにある腹帯を実際に測ってみたら5メートルと6センチあった。日本の妊婦はこれを腹にぐるぐると巻く。この風習は世界にあまり知られていない。



腹帯を腹に巻き始める儀式、「着帯の儀」は、妊娠五か月目の戌の日におこなう。犬は安産で多産だから、それにあやかっている。五か月といえば妊娠の安定期(母体の黄体ホルモンが安定する時期)と言われるが、お腹はまだそれほど出ていない。見た目は普段とまったく変わらない人もいる。


はじめて腹帯を見た妊婦は「5メートルもする長い帯を腹にぐるぐる巻くなんて、いじめじゃないか?」と思うかもしれない。


だが、実際に巻いてみると、意外にイイことに気づく。

フィット感が絶妙。見た目も粋。三船敏郎になった気分。


ここで、実践的な巻き方を動画でどうぞ↓ 細かい決まりはありません。ポイントは、骨盤まわりに巻くこと。おへそにはまかないこと。動画のような姿勢で巻くと、大きいお腹を載せる土台として腹帯を巻くことができるので、とても快適。




とても個人的な話になるが、私が妊娠七か月のときは、腹回り1メートルを超えた。

お腹の子が二卵性の双子で、一人ずつ個室(胎盤)を持っていたためだ。


「何これ? 山?」

と、産院の先生が冗談を言うほど、お腹だけが巨大化。骨盤はどんどん広がる。とはいっても、骨が成長するわけではないから、骨組を緩めてスペースを確保するのだ。骨盤をゆるめるホルモンが、分泌されるらしい。


「人体の神秘や」

と、産院の先生が感心してくれたのは良いが、自分の体がハウルの動く城になったようにぐらぐらし、制御不能だったのも事実。


そんな時、助産師さんがダース・ベーダ―のようにおっしゃった。


「腹帯を使え」と。


「通常は半幅で使う腹帯を、もっと細く三つ折り幅にして、骨盤まわりに適度に締めながら巻くと良い。腹の出ている部分には巻かずに、その下の土台の部分に巻くのだ。腹帯だ、腹帯を有効に使うのだ、」と。


言われたとおりにすると、骨盤のゆるんだネジを適度に締めるがごとく心地よく、体感も定まって身動き軽快。うそみたいに体が動く。


5メートルもある長い晒し木綿の腹帯は、どんなに大きなお腹にも対応し、その日の状態に合わせて、締め加減も自分で塩梅できる。


ぐるぐる巻いて、最終、折って巻き込むだけなので、お腹が出すぎて下が見えなくても巻ける。晒し木綿だから肌に直接当たっても大丈夫。しかも、木綿のさっぱり感で、夏まっさかりでも、不思議と暑苦しくない。


腹帯はたちまち相棒に昇格し、それから毎日、入浴時以外ずっと着けていた。


本当に入浴時以外。寝ているときも、いつも一緒だった。腹帯していたら、寝返りをうつのも、楽なのだ。


「お腹が張ってきたら言うてな」

と産院の先生には言われたが、正味な話、言われるだいぶ前から、ずーっと張っていた。こんなものかと思って我慢していたが、今思えば、耐えられたのは腹帯のおかげだったような気がする。


いよいよお腹が痛くなってきたので、早めに産院へ行って入院したら、翌日には陣痛が始まり、私は救急車で地元の産院から淀川の向こう岸の大病院へ運ばれ、緊急帝王切開で出産。


出産があまりに急な出来事だったので、相棒であるはずの腹帯を、もといた産院に置いてきてしまった。ゆえに腹帯は私の出産に立ち会っていない。


もといた産院から腹帯を取ってきてもらい、ヨレヨレに巻かれた腹帯を見たときには、「YO! 相棒」と、懐かしく親しげに感じたものだ。


腹帯もまた、ヨレっとした笑顔で「おつかれさん」と言っているようだった。


そして、産後の骨盤を締めて元に戻すために、さらに半年ほど、相棒をつとめてくれた。なんていい奴。


じつは、産院から、産後の骨盤引締め用のベルトをもらっていたが、ゴム&マジックテープという素材感が、もめんの心地よさにはかなわなかったので、あまり出番がなかった。


「古事記」の中つ巻には、妊娠後期で出陣した神功皇后が、お守りの石をはさんだ下着をつけて戦ったと書いてあって、これが腹帯のはじまりとされている。


日本の妊婦たちは、こういうストーリーも込みで、ぜひ腹帯を巻いて出産に備えてほしい。もちろん、海外の妊婦たちにも、腰痛予防や、産後の骨盤のひきしめに、腹帯を活用していただきたいと思っている。


腹帯は、お腹をふんわりあっためてくれる腹巻ではない。親切そうに、でもしつこくまとわりつくパンストでもない。こざっぱりした晒し木綿で、キュっと妊婦の骨盤を支え、動ける体をつくる、粋な相棒なのである。

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