ちまきという食べ物について

最終更新: 5月5日


「せいくらべ」という歌の歌詞に、「ちまき食べ食べ兄さんが、測ってくれた背の丈」というフレーズがあるが、私にとって「ちまき」とは、大人になるまで想像上の食べ物だった。

埼玉の実家では、子供の日といえば柏餅だったからである。


関西に嫁にきて、はじめて目にしたちまきは、地鎮祭のお餅などをお願いしている和菓子屋さんが持ってきてくれたものだった。


そのお菓子は、何枚もの笹の葉に包まれたあと、葉の繊維のひもでかなり念入りに巻かれているため、ありつくためには、がんばってぐるぐる、ぐるぐる、紐を解かねばならない。じつにイライラする食べ物なのである。


私は、食べ物の写真が撮れない。それは写真を撮るよりも先にいただきますしてしまい、半分以上いただいたところで、写真を撮っていないことに気づくためで、要するに、「待て」ができない。口に入れるまで時間のかかるものは、少々苦手だ。


だが、がんばって、ちまきのぐるぐるをほどいて出てきたのは、棒状の、少々透き通った、うつくしく白いお餅だった。


齧ると、中にあんこは入っていない。お餅はうっすら甘く、この時期にふさわしい、うららかな味がした。


沖縄に、月桃の葉にくるまれた、むーちーというお菓子があって、むーちー=もち、というそのまんまの名前なのだが、とてもおいしくて、とりこになってしまったことがある。そのむーちーに趣が似ていて、さらに京風に、みやびな香りを漂わせているのがちまきなのだった。




どうして「ちまき」なのかというと、もともとは、笹ではなく、茅(ちがや)の葉で包まれていたからだという。茅巻=ちまき、というわけだ。


巻いているものが餅ではなく、おこわの場合もある。(おこわの場合は、中国で端午の節句にちまきを食べる理由がそのまま日本で定着したパターン。長くなるので割愛するが、中国でおこわのちまきを食べる理由はぜひ検索してみてほしい)。


茅は、大祓の茅の輪に使われるように、神道では、「祓いの効果がある植物」として、神事に使われている。


最近では、神事以外には使われることが少ないので、茅を知る人は少なく、生えている場所も減ってきてしまったが、ときどき、田舎の国道沿いの、放置された湿地帯なんかに、びっくりするほど立派に群生したりしている。


神職は、たとえ彼女と休日のドライブをしている時でも、こうした茅の群生場所をチェックしているのだ。(そんな群生地帯で茅刈りをした日、背中じゅうヒルに吸われた神職もいた)。


祓いの力があるとされる茅の葉で包んでいたということは、やはり、「ちまき」という食べ物には、邪気祓いの意味が込められているということだ。


もともと年に五回ある「節句」とは季節の変わり目で、体調面でも精神面でもゆらぎの起きやすい時である。江戸時代のころは、五回ある節句すべてが祝日で、厄祓いをして神に贅沢なお供えをし、体に良いものを神と一緒に食べて、体と心をいたわった。


日本では太陰暦から太陽暦になったときに、日付優先で太陽暦でも五月五日が「端午の節句」となった。だが、太陰暦(旧暦)では、今年の場合は六月七日がリアルに体感するはずの「端午の節句」ということになる。


ご参拝の中高年の方々からは、「六月がつらい」という言葉をよくうかがう。自律神経の乱れなどがある場合、梅雨に入る六月は、ことさら気が滅入るという。


そんな時こそ、お祓いをし、その時期だけのおいしいものを食べ、お祝いして乗り切ろうという、人間の生き延びる知恵こそが、伝統行事「端午の節句」なのではないだろうか。


 

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