クマゼミと桃


夏越大祓で、祓いに使われる桃の枝

夏のはじめ、ちいさな稲荷社のまわりの土には、ポコポコとまるい穴が出現する。それは地中からセミたちが、この世に出てくる穴なのだ。


クマゼミたちは鳥に食われたり、蜘蛛の巣にうっかりひっかかったり、チビッ子に網で捕獲されたりしながらも、日がな一日シュワシュワ言って暮らす(朝の五時から)。と、書くとのんびりした感じがするかもしれないが、このシュワシュワは、スラッシュメタルのように高速である。


関東ではみんみんゼミの間延びした声が、長らく夏の音景色だったが、大阪に遷った今では、クマゼミの怒涛のシュワシュワの中でシュワっといただくビールの味が格別に思われる。


彼らは2年から5年、地中に暮らし、地上に出てからは3週間から1か月の命、すなわちひと夏の間に子孫を残しあの世に戻っていくと言われる。そんなに長い幼虫時代、天敵のいない地中で、ゆっくりゆっくり成長しながら、クマゼミは何を思うのか。


たぶん無(む)なのだろうが、ひょっとすると、脳のような機能だけがものすごく発達していて、バーチャルでばら色の人生を何回も送っているのかも知れない。


2年が経ち、「オレはもう現実世界へ行くぜ」と、穴から出る者。


「あともう1年妄想さして!」と、留年する者。


地中5年生ともなると、構築された妄想世界が、ものすごいことになっている。


そして稲荷社のじめんの下には、蝉たちの妄想世界が、「マトリックス」(という映画があります。)のように、はりめぐらされているわけだ。


そこから意を決して地上に出た者は、ひと夏、スラッシュメタルを演奏、短い人生を終える。そしてさまざまな動物の食糧となる。


くまぜみの亡骸運ぶ蟻の列みださぬように竹箒の先


夏は毎朝、掃除の時間にたくさんの命のリレーを見る。参道を蟻の列が横切ってゆく。大きなクマゼミが運ばれてゆく。


一匹の雀が、クマゼミを咥えて飛んだ。クマゼミはまだ、「しゅわっ……しゅ、わっ!」と言って抵抗。仲間の雀らしき者が2羽、心配そうにまわりを飛ぶ。


クマゼミは、蝉のなかでも太めだから重いし、雀の小さなくちばしでは、もてあますのだろう。


雀は、1メートルほどの低空飛行と着陸を三度ほど繰り返し、

「一旦、くまぜみ置こっか」

という風情で境内の玉砂利の上にクマゼミを置いた。


仲間も「よし、一旦置こ」と思ったらしく、着陸。


その瞬間、まったく別の雀がさっと飛んできて、クマゼミを咥え、飛んで行った。あきらかに、さっきの雀より運動能力が高い。弱小サッカー部が強豪校の選手にあっさりボールを奪われる時のようだった。


奪われたクマゼミは「しゅ」と短く言ったまま、咥えられてあっという間に空高く飛んで行った。さっきの雀が、「まてー」と、いかにもどんくさい感じで追いかける。弱小チームの仲間も追いかける。だが、たぶん、追いつけないだろう。


弱小チームの夏は、早めに終わる。


動物にとって、一旦獲物を地面に置いたら終わりなのだ。


昔飼っていた犬も、元野良犬だったから、蝉を仕留めたら、絶対に口から放さなかった。


そんな毎朝の風景は永遠に続くように思われる。


が、ある日、シュワシュワの音量が減っていることに、突然、気づく。


クマゼミの人数がじわじわと減り、気づいたらだいぶ減っているのだ。


野球でいうと、互角にやっている感じなのにじわじわ点差をつけられていて、気づいたら、あれ? あと1打出たら終わってしまうのん? コールドで? の瞬間。


そして、さわやかな風が吹きぬける。

秋の風だ!

夏が終わる!


夏の終わりは切ない。


切なさの中で、例祭の準備をしなくてはならない。


段取りが苦手な自分が、段取りを任されているため、秋から節分までは人生綱渡りなのだ。


あれして、これして、あれして、一旦あの件は置いといて…。


どんくさい雀のように段取りを考えていると、お参りのおねえさま方に、

「桃の実成ってるやん! はよ食べんと鳥が食べてしまうで」と言われ、はっと我に返る。


赤門の外の桃の木は、片埜神社に嫁に来た当時、私の名前にちなんで、今は亡き先代宮司が植えてくれたものなのだ。


それから二十年、桃の木がピンポン玉くらいの大きさの実をひとつ、つけるようになった。


桃栗三年、という言い回しからすると、二十年でこの大きさひとつ、というのは、おそろしく遅いのかもしれない。だが、クマゼミ同様、生き物には人生の長さに個体差がある。桃にだって妄想期間は必要だ。


昨年までは、梅に間違われていた桃が、2年前からは桃らしさをふりまき、桃のいいにおいを発しているのだから、言祝いでやろう。誉めて伸ばそう、植物も。


桃の実は、古事記において、オオカムヅミという名前をもらっている。


おおいなる神のミ(みたま)、あるいは実、という意味の、りっぱな名前だ。


なぜかというと、イザナギが黄泉の国でおそろしい姿になっているイザナミを見てしまい、追いかけられている時、追手に桃の実を投げつけて事なきを得たからだ。


そんなわけで、桃の木は、祓いの力が強いとされている。


夏越の大祓式でも、ご参列の方々の穢れを桃の枝に移し、それを斎主が折って消滅させる、ということをする。


(大祓では、それに加え、火打ち石や、切幣、人形も使って、何重にも祓いを行う)。


ねえさんがたの一人が、ようやく桃らしい実をつけた木を私に見立て、「あんたもここに根を張ったということや。」と言ってくれた。まるでモーガン・フリーマンだ。


だが、ほんとうにそうだろうか。


桃の木は根を張ったが、自分は根を張れているようには思えない。


むしろクマゼミのように突然スラッシュメタルを演奏しかねない。

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