鬼の角に紙泥棒

境内の掃除をしていると、鬼の両方の角に、鵯(ヒヨドリ)が一羽ずつ、とまっていた。視力の悪い私は、最初、鬼の角が伸びたのかと思った。 大阪城の鬼門除として豊臣秀吉公から指定を受けた片埜神社には、それに因んでいたるところに鬼面がある。桜の木の横にある赤い鬼面はひときわ大きく目立っており、我々はふつうに「鬼」と呼んでいる。 その鬼の両角に鵯がとまっていたのだ。 よくみると、向かって左の角(神道的に言うと下位)にとまっている鵯が、鬼の上にある注連縄の紙垂(しで)をくちばしで引っ張っていた。紙垂(しで)というのは、文字通り垂れた紙で、注連縄とともに結界を表す。 向かって右の角(神道的に言うと上位)にとまっている鵯は、せわしなく周囲を見渡しつつ、下位の鵯を応援、あるいは指示の様相。 先ほどから奮闘中の下位の鵯が、くちばしで5、6回、引っ張ると、ついに紙垂が抜けた。 片埜神社の注連縄は、地元農家の餅米の藁を、講の方々がきっちり綯ったものだ。そこに挟んだ紙垂を抜くには相当な力が必要だったはず。下位の鵯は「抜けたよ!」という達成感の瞳で上位の鵯を見た。上位の鵯は「よくやった」と言う様に、ひょ、ひょ、と鳴いている。 この者たちは、つがいだな。(下位がオスで、上位がメスだな。)と勝手に思いながら、私はポケットに手をつっこんでスマホを出そうとした。彼らを撮影するためだ。 すると上位の鵯が奇声を発し、急に飛び立った。 下位の鵯は飛び上がる途中で紙垂を落としてしまった。 二羽は、あわただしく近くの木の上へ待避。「やばいよやばいよ」とというように互いに鳴きながら、枝から枝へとせわしなく移っていたが、一分もた

父の帰幽

地球上で、人は刻刻と亡くなり、刻刻と生まれている。 神道では、亡くなることを「帰幽(きゆう)」と呼ぶ。幽に帰ると表現する。 幽の状態って、どういうことだろう。 私の父は五年前の七月十四日に帰幽した。父は東京都台東区谷中の酒屋の四男(六人きょうだいの末っ子)に生まれ、商社に入り、インド、リビア、イランに駐在、最後は東京の自宅で、私を含む家族三人に囲まれて亡くなった。社内結婚した母との間に娘が二人。姉は東京で生まれ、私はインドで生まれた。 メキシコで乗った車が横転してあばら骨が折れていたり、リビアで爆撃に会って消息が不明になったり、いろんな危機一髪を生き延びてきた父も、胸腺というめずらしい臓器のがんには勝てなかった。ジャストミートする抗がん剤がなく、「肺がんの薬が効かなくなった時が寿命」と、がんの専門医に言われ、いよいよその薬が効かなくなった時、父は最後の日々を東京の自宅で、妻と二人で過ごすことを望んだ。 自宅近くに「在宅ホスピス緩和ケア」を専門とするクリニックがあり、そこから医師や看護師が定期的に来て看てくださることになった。とはいえ、基本的に在宅療養の場合は、痛み止めの座薬を入れてあげるのも、痰の吸引をしてあげるのも家族。看護師さんに教わって、母がしていた。近くに住んでいる姉も、遠くに住んでいる私も、がん患者の末期症状について調べたりして、その時に備えた。 六月に私が大阪から東京に帰った時、父は、ものを食べられなくなってからひと月たっていた。栄養や水分補給の点滴さえしないと決めて、その意思は固かったから、ときどき、果物の汁をすすったり、氷をなめたりして(水分をごくごく飲むことも

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